吉川英治さんの「美しい日本の歴史」というエッセイで紹介されている、
室町時代の慧春尼という女性のエピソードにかんたんしました。


(青空文庫)

吉川英治 美しい日本の歴史

 


美しい日本の歴史と聞くと政治的な何かを想像してしまうかもしれませんが、
こちらは昭和30年代の作品ですので現代政局とは無関係です。

むしろ美しいどころか相当な下ネタが混ざりますのでご留意ください。



本作、歴史小説の大家である吉川英治さんのエッセイということで、
内容は様々な歴史上の逸話紹介が中心です。

明治天皇が下級官吏を気遣うエピソードだとか
高山右近の恋愛小説を書いたら上智大学からクレームが来たとか
なかなか興味深い内容が多いので、お暇な方はお目通しください。

その中で現代にも通じる「女子力養成講座」的な内容に目を引かれましたので、
そちらを特に取り上げたいと思います。



お題は「男に試されるような目に遭った場合、女は何とするべきか」



まずは失敗事例です。

「試されたお妃」という章で、出典は大鏡からとなります。


美しい姫君が皇太子のところへ入内するのですが、
どうも皇太子さまとソリが合わない。

ある日、皇太子さまが姫を試すようなことをします。
氷の塊を姫の掌に乗せて、「離してはいけないよ」と。

『そなたが私を信じるなら、そして私に生涯の貞操をちかう気なら、よし、と私がゆるすまで氷をすててはいけない』
と、いいつけた。姫は言われるとおりに、じっと氷を握っていた。
ところが、次第に爪の色が紫ばみ、皮膚の色さえ変じて来ても、姫はなお本気になって、持ち怺えているのだった。それはもう愛情の誓いなどとは別な我慢のように見えたのだろう。皇太子はついに興ざめを催して言った。
『もういい、もういい』
そして、そのあとで、近衆へつぶやかれたそうである。
『麗景殿(姫)の柔順もいいが、あれでは哀れを通りこして、まったく、たよりないね……自分のした戯れまで、うとましくなってしまったよ』


……ひどい。

無茶ぶりをしておいて、リアクションがつまらないとダメ出し
完全にいじめです。

結局、この姫君は密通事件を起こしたこともあり、実家に帰されてしまったそうです。

どっちにしろ、男の観察が女をこころみる場合の眼は、暴戻無慈悲なものであるから、万一にも男から氷を手に載せられるなどの試しを仕向けられたら、女性はよろしくその処置に女性特有な冷めたい細心と美の放散を併せ用いて、逆に男へ火をつかませる思いを与えなければなるまい


吉川氏はそう結んでおられますが、「具体策を教えてくれ」と誰もが思うことでしょう。

そこで、次は正解編に移ろうと思います。

 

「尼のもの底無し」「さあお進み下さい」という章になります。


主人公は室町時代(吉川氏は鎌倉時代としていますが、正しくは室町時代のようです)の
慧春尼(えしゅんに、あるいはけいしゅんに)という尼さんです。

この慧春尼さんも男たちから試されるような目に遭いますが、
見事に斬り返してしまうのです。


彼女は大層美人だったそうで、出家後も坊主連中からのセクハラが絶えなかったとか。

例えばある日。
公の使者として某臨済宗大本山に赴いたところ、
一人の若僧というかバカ僧がこんなことをしてきました。

一人の若僧が躍り出て、やにわに、尼の前へ立ちふさがったと思うと、法衣のすそを捲り上げた。そして股間の陰茎を白日の下に露出し、しかも身を反らしてそれを赤黒い巨大なものに怒らしてみせながら、
『僧の物三尺。如何となす』
と、やったのだった。


意訳すれば、「どや! ワイのは90㎝やでぇ!」と見せびらかしてきた訳です。
最低かよ。道鏡かよ。ダーク・シュナイダーかよ。


対する慧春尼さん。

微動もせず、即座に、わが裳を左右へさッと掲げて、その真白な肌はもちろん、ふさやかな毛丘にかこまれた玉門までを、僧の一物の前へ示して、
『尼の物、底無し』
と、応酬した。
これは男僧の負けである。三尺と、底無しとでは、スポーツにしたって負けと極まっている。


えっ、そういう争い!?

呆気にとられるしかなかったのか、男僧の負けになったようです。
たぶん90㎝のものが9㎝くらいに縮んでしまったのでしょう。

この話を吉川氏が講演でやったら大受けだったそうですが、
平成の日本で同じ話をしたらドン引きされること間違いなしです。

 

似たようなエピソードがもうひとつ。

死ぬほど尼に恋した若僧があった。
ある晩、尼の寝床に這いこんで、泣きながら掻きくどいた。尼は『今夜はいけません、次のときに』と、なだめて帰した。そして数日後の、了庵上堂の大会の日であった。尼はわざと、性の大事について、人々へ法問を向けた。誰もが、偉そうに構えながら、性のことにふれると、みな口しぶる。すると尼は、先夜の若僧の名をさして『論議では埓があきません。先の夜、御僧が望んでいたお約束事を、ここで果たそうではありませんか。さあお進み下さい』と、禅床の真ん中へ出て衣を解きかけた。
若僧は逃げ出したのみか、山からも姿を消してしまったという。


純情かよ!

まったく、中世禅宗寺院の性道徳はボロボロのようです。
男色だけでなく、セクハラ密通夜這いまで日常茶飯事だったんですね。
こんな話ばかりを聞いていると京都や鎌倉をありがたがれなくなってしまいます。



さて、これら慧春尼さんのエピソードは、
「相手の想像を上回る」「意表を突く」大事さを教えてくれます。

男ってのは、自分のペースを崩されると途端に萎えてしまう、
風上に立てなくなってしまうものなんでしょう。

単にビローンにはビローンで返せ、ということではないと思いますよ。
「ビローン!」
「なんの! ビローン!」
「「ぎゃっははは!」」
みたいなカップルなら何の心配もないでしょうけど。

 

先日紹介した北方謙三さんの本にもこんなことが書いていました。

女性が、あたしと葉巻とどっちが大事なの、と言った。私は即座に、葉巻だ、と答えた。
葉巻はな、火をつけると煙になって消えちまうんだよ。おまえ、火をつけてやろうか。それで煙になって消えるなら、大事にしてやるぜ。
女性は唖然としていたが、それ以上、葉巻の話はせず、私は嫌われることもなかった。
よく聞けよ、君。女はな、自分が理解できない価値観については、時に、恐れて避けようとする。だから、一度か二度は、こんなふうにぶちかましてやればいい。


こちらは男女が逆転していますが、本質は同じことです。

ときには相手の価値観・常識を超えた一面を見せつける。
そうすることで、相手から一目置かれる女子力が備わっていく。


これで、今度から恋人にいきなり試されても大丈夫ですね。

……まあ、恋人を試すような男なんてそもそも碌な奴じゃないと思いますが。

 

 

さて、本日ご紹介した慧春尼さん。
最期はあまねく女人の幸福を祈り、自らを法灯とするべく焼身自殺したそうです。

なんと……。
身を焼くほどに、祈らずにはおられない出来事が多かったのでしょうか。

小田原近くの最乗寺に祀られているそうですから、
お参りしたら糞男退散のご利益とかあるかもしれませんね。

 


悪い男に引っかかる女性が減りますように。